上海ロックダウン体験記|到着3日後、突然すべてが止まった

辛く長かった2週間のホテル隔離が終わり、ようやく解放されたその3日後。

上海の街は、突然ロックダウンに入りました。

当初は「3日間だけ」と聞いていたため、前日には食料や生活必需品を買いに出かけました。

しかし、スーパーはすでに買い占め状態で、棚はほとんど空。

手に入ったのは、袋のインスタントラーメンだけでした。

少しの不安を抱えたまま、ロックダウンが始まりました。

■ 外に出られない生活

マンションの入り口は、自転車が積み上げられ、完全に封鎖されました。

文字通り、一歩も外に出られない生活の始まりです。

そんな中、こんな光景もありました。

犬の散歩も許されていなかったため、

1階に住んでいた方は、窓から外に犬を出して散歩させていました。

窓から外に出て散歩する犬。

当たり前だった日常が、少しずつ変わっていくのを感じた瞬間でした。

■ 延長されたロックダウン

最初の3日間は、意外とあっという間に過ぎました。

コロナの影響でビザがなかなか下りず、夫とは半年ほど別々に暮らしていたため、久しぶりの時間を過ごしていたからです。

しかし、4日目になっても解除の気配はなく、

「2週間に延長されたらしい」という話が広まり始めました。

■ 食料とギリギリの生活

夫の会社から食料の差し入れが届きましたが、部屋の外に出ることは禁止されていました。

夫は、防護服を着て検査員のふりをして取りに行きました。

それくらい、余裕のない状況でした。

ロックダウン中、外に出られるのは2〜3日に一度のPCR検査の時だけ。

それ以外は毎日抗原検査を行い、その結果をマンションのグループチャットに送る必要がありました。

■ 情報と噂に振り回される日々

グループチャットでは、

「〇号棟で陽性者が出た」

「その棟は5日間完全に外出禁止」

といった情報が次々と流れてきました。

外に出ていないはずなのに感染するのはなぜか。

排水管からではないか、という噂まで広まり、

見えないものへの不安が少しずつ大きくなっていきました。

■ 一番怖かったこと

陽性になった場合、隔離施設に送られるという話がありました。

衛生状態が良くないこと、環境も整っていないこと。

そして、言葉が分からないまま一人で連れて行かれるかもしれないこと。

その想像が、頭から離れなくなっていきました。

■ 配給の現実

10日ほど経った頃、マンションにトラックが到着し、配給が配られました。

届いた段ボールの中には、

にんじん、ブロッコリー、白菜、ネギのような見慣れない野菜、乾麺、鶏肉、常温保存可能な牛乳や豆乳などが入っていました。

これでどのくらい持つのか、考えずにはいられませんでした。

その後も、不定期に配給が続きました。

届くのは、あまり馴染みのない食材や、調理方法が分からない野菜や食料も多く、中には、頭のついた鶏が一羽そのまま届いたこともあります。

どう扱えばいいのか分からず、しばらく手が止まりましたが、

捨てるという選択はありませんでした。

動画を見ながら、少しずつ手を動かしていきました。

■ じわじわ削られる生活

水道水はそのままでは飲めず、ミネラルウォーターが欠かせませんでした。

配給のタイミングは分からず、

やがて水道水を沸かして使うようになりました。

持参していた食料や日用品も少しずつ減っていき、

下着は限られた数で回し、

スキンケア用品も尽き、水で代用する日々。

生活は、少しずつ変わっていきました。

■ 人とのつながりに救われる

同じマンションに住む日本人の方や、現地の方が食料やティッシュなどの生活必需品を分けてくれました。

コーヒー豆を譲ってくれたこともありました。

言葉や国を越えて、支え合う空気がそこにはありました。

■ 少しずつ戻る日常

1ヶ月ほど経つと、マンション内での散歩が許されるようになりました。

猫と遊んだり、人と話したりする時間が、気持ちを少し軽くしてくれました。

さらに物流も徐々に戻り、生活必需品をネットで注文できるようになりました。

■ ロックダウンを経験して感じたこと

6月1日、ロックダウンは解除されました。

制限は残っていたものの、外に出られるというだけで、これまでとはまったく違って感じられました。

水や食料が減っていく不安。

先の見えない状況の中での生活。

それでも、

本当に困ったときには誰かが手を差し伸べてくれる、

そんな感覚もありました。

そして、自由に外を歩けること。

それは当たり前ではなかったのだと、あのとき初めて感じました。

2週間のホテル隔離については、また別の記事で書きたいと思います。

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